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2011年7月21日 (木)

まーけっと

ローソンのポスターを見て、そういえばりっちゃんってローソンとか呼ばれていた時期があったなーとかぼんやりと思い出しました。
しかし、ローソンでアイマスの曲がヘビーローテーションされてるのには、なんだか変な感じ。まぁ、先週までやっていた「まどか☆マギカ」のキャンペーンよりは違和感無いけど。
――いや、あの作品、ローソンの全国区でやるほど、知名度ないだろうに……。それに、あの絵柄で興味を持ったお子様が作品見ても、内容、トラウマものだろ……。
 
 
 
ReaderでH.G.ウェルズの「タイムマシン」他を読了。そして愕然とする。
いや、マジで2世紀も時をまたいでいるのに、今のSF作品ってこのウェルズの概念に乗っかってるだけで、何の創作もできてないじゃないか。いったい「SF作家」と呼ばれている人たちは、これまで何をやってきてたんだ?
そりゃ、日本のSF大会とか、老人たちがひねくれた知識自慢をするだけの、益の無い部活動で終わっているのも頷けるってモンです。
 
 
僕は、大衆芸術は娯楽作品であるべきだと思っているので、無駄に説教くさい作品は好きではないのだけど、それにしたって、ロボットと美少女が出てきて「はい、SFですよー」とか言われてもどうかと思うし、そればっかりだとガッカリだ。
10年後、20年後に見たときに「未来的」に見えるような作品が減っている気がします。先に読んだ「タイムマシン」は、古い作品で新鮮味は無かったけれど、「未来的」だった。
映像作品では、最新のCG技術なんかで未来を表現するけれど、そんなのはすぐに陳腐化する。ハリウッド映画の「マトリックス」だって、すでに古典。
小手先の技術で装っても、本質的な志向の部分に新しさが無いと、感動が続かない。
 
 
今、作品はキーワードを元に作られている場合が多いです。
キーワードごとにキャラクターが作られ、それらが場を作っていくけれど、最終的には大きなストーリーに沿っていき、多様性のあるように見えたそれぞれの個性は、物語の最後に向かって全員が全員、一方向を向く。
それが昔からとても違和感があったのだけど、誰かの作った概念の上でしか作品が作られないのなら、さもありなんという感じ。
 
 
んー……これはいろいろと古典を読み直していく必要があるなーとか、ちょっと思いはじめました。
 
 
あとは、そういった古典の概念によらない、新しい方向性の作品を読んでみたいんだけど、なかなか探すのが難しそうな気がします。
それを本屋で物色するのも楽しさのひとつではあるんだけど、電子書籍の本屋では、そんな作品は出版されないんだろうなーとか思いました。
 
出版コスト的には、電子書籍のほうがマイナー作品に向くとは思うんだけど、そもそも電子書籍自体がマイナーだから、まだそこにアプローチする作家も出版社も少ないんだよね。
せめて、未来的な世界を描くSF作品くらいは、積極的に電子書籍出版へアプローチしてきてもいいと思うんだけど、ただでさえ出版不況と言われている中で、音楽小売店の二の舞にはなりたくないって意識もあるんだろうなーとか思いました。
 
 
結局、何か大きな成功事例でも起きないと、保守的なまま変わらないよね。
それが資本主義。

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