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2011年10月 7日 (金)

循環機構

会社に来てる痛車の人の車、デザインが変わっていた。たぶん、週末からお台場で行われる「痛Gフェスタ」に参加するために新調したんだろう。
相変わらず、元の画のメーカーさんは変えてなかったから、よっぽど好きなんだろうな。
 
 
 
そう遠くはない話なんだろうなと思いつつも、「まさか」と言う気持ちもあったけれど、Apple創業者の一人、スィテーブ・ジョブズの訃報を聞く。
Appleの製品は好きではないし、ジョブズのビジョンも僕の琴線には触れなかったのだけど、氏がしてきたことには敬意を表します。氏は、ある意味、リーダーの理想形だった。
心よりご冥福をお祈りいたします。
 
しかしこれで、IT機器のUI革新は止まることになると思う。
UI変革の主導権を、ゲームが取り返すことになるんじゃないかな。
 
 
普段、あまり自覚することがないけれど、よく知った名前の訃報を聞くと、あー、もうそんなトシかーとか思ってしまいます。亡くなった方の年齢ではなく、自分のトシってことでね。
で、自分が終了するまでにやらなきゃいけないことってのを考えたりするんですが、「やりたいこと」を挙げるよりも「できたこと」を挙げる方が、圧倒的に楽なんですよ。
 
 
少ないから。
 
 
で、これじゃダメだなーと思っていろんなことを再開させるんですが、まぁ、それがうまく言ったとしても、結局「できたこと」が「やりたいこと」を上回ることはないんだろうなって思います。というか、「やりたいこと」が無くなった時が、自分の終了時だと思う。
 
 
それに「できたこと」を判断するのは自分じゃないと思う。言い方は悪いけれど、完成は妥協の着地点であって、作業の終着点ではない。妥協ってのはあんまりだから、まぁ、途中下車くらいかな。
 
 
 
物語は、常に「つづく」で終了する。その先がどんな形なのかは知らないけれど、「つづく」。「完」とか表示されたからといって、続編が作られないとは決まっていないし、同じスタッフの違う作品だって出てくる。まったく違う人たちが続編を作ったり、リメイクすることだってある。
 
 
世の中で、終わることなんてない。これからもAppleって企業はあるし、そこにはジョブズが作ったものがあり、作ろうとしていたものが作られていく。死はその人の終了に見えるけど、その程度で世界は終わらない。その人自体が、前の人たちのつながりでできていて、次の世界にその人はつながっている。
 
別に、誰かの生まれ変わりじゃなくっても、僕たちは、誰かの「続き」だと思うのです。
そして、また誰かに「続いて」もらうんだと思います。

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